大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

那覇地方裁判所 昭和55年(行ウ)2号 判決 1984年6月19日

那覇市字安里三二二番地

原告

具志堅光雄

右訴訟代理人弁護士

塚本安平

浦添市字宮城六九七番地七

被告

北那覇税務署長

上原一夫

右指定代理人

榎本恒男

丸山稔

石川勝夫

宮里朝尊

金城俊夫

仲大安勇

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五三年二月二七日付で原告に対してした昭和四七年分贈与税決定処分及び無申告加算税賦課決定処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  被告は昭和五三年二月二七日付で原告に対し、原告が昭和四七年七月二〇日に原告の祖父である亡具志堅嘉彦(以下「嘉彦」という。)から別紙(一)物件目録記載の各土地(以下「本件各土地」という。)の贈与を受けたことを理由に、法定控除後の課税価格一億七二五六万五〇〇〇円、税額一億一七〇五万〇五〇〇円の昭和四七年分贈与税決定処分(以下「本件決定処分」という。)をするとともに、税額一一七〇万五〇〇〇円の無申告加算税賦課決定処分(以下「本件加算税賦課決定処分」といい、本件決定処分と併せて「本件各処分」ということがある。)をした。原告は、昭和五三年四月四日被告に対し本件各処分についての異議申立てをしたが、同年七月八日付でこれを棄却されたので、同月一七日国税不服審判所長に対し審査請求をしたが、昭和五五年三月三一日付でこれを棄却された。

2  しかしながら、本件各処分は違法であるので、その取消しを求める。

二  請求の原因に対する認否

請求の原因1の事実は認め、同2の主張は争う。

三  被告の主張

1  本件各処分の適法性

(一) 嘉彦は本件各土地の所有者であったところ、昭和四七年七月二〇日、原告に対し本件各土地を贈与した。右贈与時点における本件各土地の価格は一億七二九六万五一七五円を下らない。

(二) 昭和四七年五月一五日沖繩の復帰に伴い、沖繩の復帰に伴う特別措置に関する法律第七二条第一項第一号、沖繩の復帰に伴う国税関係法令の適用の特別措置に関する政令第一条第一項の規定に基づき、復帰の際に琉球政府が課した、若しくは課すべきであった贈与による所得に対する税の賦課徴収権は国がこれを承継したが、復帰前の沖繩においては贈与税という独立した税目がなく贈与による所得については沖繩の所得税法第八条第一項第九号の規定に基づき一時所得として課税がなされていた関係上、右特別措置法第七八条に経過措置が定められ、昭和四七年四月一日以後において贈与により取得した財産については、本邦の相続税法の贈与に関する規定が適用されることとなった。

(三) 原告は、前記のように本件各土地の贈与を受けたにもかかわらず、法定の期間内に昭和四七年分の贈与税申告書を提出しなかった。

(四) そこで、被告は次のような計算に基づいて本件各処分をしたものであり、本件各処分は適法である。その理由を次の2、3において詳説する。

<1> 贈与により所得した財産の価額 一億七二九六万五一七五円

<2> 基礎控除額 四〇万円

<3> 法定控除後の課税価格 (<1>-<2>、一〇〇〇円未満切捨て) 一億七二五六万五〇〇〇円

<4> 贈与税額(<3>に基づき法定の税率で計算) 一億一七〇五万〇五〇〇円

<5> 無申告加算税額(<4>×〇・一、一〇〇円未満切捨て) 一一七〇万五〇〇〇円

2  贈与の時期

(一) 本件各土地は、もと嘉彦が所有し、かつ登記名義を有していた。原告は、嘉彦を相手方として、昭和四七年四月二五日、那覇地方裁判所に本件各土地の所有権確認と所有権保存登記等の抹消登記手続を求める調停(同裁判所一九七二年(ノ)第一一号)の申立てをし、同年七月二〇日、原告、嘉彦が出頭のうえ、本件各土地が原告の所有であることを確認し、嘉彦が原告に対し本件各土地の所有権保存登記等の抹消登記手続をするとの内容の調停が成立した。そして、右調停の調停調書を原因証書として、本件各土地について昭和四七年一二月四日付で嘉彦名義の所有権保存登記等の抹消登記がなされ、次いで昭和四八年九月一一日付で原告のための所有権保存登記がなされている。

(二) 贈与税は、贈与者の死亡によって効力を生ずる死因贈与以外の贈与による財産取得の事実を課税原因とし、その課税原因による取得財産を課税客体として、課される租税であり、相続税法第一条の二第一号、国税通則法第一五条第二項第五号の規定によれば、贈与による財産の取得の時に納税義務が発生するものとされている。しかして、右にいう「取得の時」の意義については税法上明文の規定はなく専ら解釈にゆだねられているところ、贈与についてはその事実の了知因難性からして容易に租税回避行為ができることを考慮に入れる必要があるから、贈与による財産権移転の時期を外形的、客観的に考察してその時期を判断するのが相当であり、また、税法上の基本理念である応能負担の原則に照らして受贈者が確実な担税力をを備えた時期はいつかという実質面についても考慮を支払う必要がある。

被告は、このような観点から、本件贈与の時期を前記調停成立の日である昭和四七年七月二〇日と認定したものであるが、次のような事実からみても被告のした右認定は正当である。

(1) 原告は、本件贈与の時期が昭和四三年一〇月六日であると主張し、その根拠として甲第一号証(「具志堅家所有土地の名義変更に関する件」と題する一九六八年(昭和四三年)一〇月六日付書面(写))を挙げるが、右書面はそもそも原本の提示がなされていないし、これに先立つ一九六四年(昭和三九年)二月九日付で作成された「具志堅家、土地分割分譲に関する覚書」(甲第四号証)の内容を変更又は取り消す趣旨のものであるのに、右覚書に署名している関係人全員の署名、押印がなく、署名してある「具志堅嘉彦」の筆跡も鑑定の結果同人の筆跡でなく第三者のものであり、「具志堅ノブ」の筆跡は原告のものであるなど、形式、内容とも不審な点があるので、到底真実の贈与時期を証するものとはいえない。

(2) 原告は、贈与を受けたと主張する昭和四三年から沖繩の本土復帰前までの間に本件受贈益に対する沖繩の所得税法による所得税の申告をしておらず、本件土地の地代に係る不動産所得については、昭和四八年分までは嘉彦の所得として同人から確定申告がされている。

(3) 本件各土地のうち公用地(軍用地)として国に賃貸している部分の土地については、昭和四八年分(昭和四八年四月一日から昭和四九年三月三一日まで)までは嘉彦が所有者として国との間で賃貸借契約を締結しており、かつ、賃料(軍用地料)も同人が受領している。また、本件各土地のうち民間借地となっている部分の土地については、嘉彦が死亡した昭和四九年四月六日までは同人名義で賃貸借契約が締結されており、かつ、同人名義で賃料が受領され、領収証が発行されている。

(4) 那覇市備付けの固定資産課税台帳によれば本件各土地の所有者名義は昭和四七年分までは嘉彦となっており、同年分の固定資産税も同人名義で納入されている。

3  贈与財産の価額

(一) 被告の本件各土地の価額の評価方法の概略は次のとおりである。

(1) 本件各土地を評価の便宜上別紙(二)図面のとおり一六一の区画に分かち(これに整理番号一ないし一六一を付する。)、これを現況に応じ、「宅地」(整理番号一ないし一五七)、「市街地原野」(同一五八、一五九)、「公用地」(同一六〇、一六一)に分類して評価した。なお、不特定多数の者の通行の用に供されている通り抜け道路部分の土地については、贈与財産評価の中に含めていない。

(2) 国税庁長官が定めた相続財産評価に関する通達(以下「評価基本通達」という。)及びこれに基づいて沖繩国税事務所長が定めた昭和四七年分相続税財産評価基準(通達)に従って、右の区画された土地ごとに、本件贈与が行われたと認定した昭和四七年七月二〇日を基準日として評価したその評価の結果は別紙(三)評価明細書記載のとおりであるが、これを要約すると、次表のとおりとなる。

<省略>

(二) 「宅地」の評価

「宅地」については、評価基本通達所定の路線価方式、すなわち、道路に接する宅地の価額がおおむね同一と認められる部分ごとに定められたその道路に接する宅地の一平方メートル当たりの評準価額(路線価)を基とし、評価しようとする宅地の奥行の深浅、形状の良否、道路との関係などの画地条件に応ずる調整計算を行って、その宅地の価額を求める評価方式によった。右の路線価は、土地の価額がおおむね同一と認められる一連の宅地が面している路線(不特定多数の者の通行の用に供されている道路又は水路)ごとに設定されるが、その路線価は、一定事項に該当する標準地について売買実例価格、精通者意見価格、地価公示価格等を基とし、課税上の基準とするものという面からの安全性を折り込んで(価額を低めに抑えて)定められている。

ところで、通常課税年分の路線価は、当該年分の前年の六月一日を評価基準日(以下「基準日」という。)とし、その基準日の仲値(公示価格と同水準の価格)を基に作成するのであるが、沖繩国税事務所においては、昭和四七年分の路線価の評価の基となるその前年の仲値の評定作業が復帰準備事務の関係で実施できなかったため、沖繩国税事務所長の通達によって、次のような方法で昭和四七年分路線価を評価することとした。すなわち、沖繩の日本復帰前に琉球政府によって作成された昭和四五年一〇月一日時点の路線価図における仲値価額を基礎として、これに昭和四六年七月一日時点との地価変動率一一五パーセント(地価上昇率を基に精通者意見を参酌して評定した。)を乗じて時点修正を行い、それによって算出された仲値価額に評価水準調整率(評価の安全性を考慮して評価を低めに抑えるためのもの)六五パーセントを乗じて得た額を昭和四七年分路線価とした。なお、昭和四五年一〇月一日現在で路線価図に路線価の表示がない道路については、前記の方法で求めた路線価と場所的条件等を比較調整して税務署長が定めた路線価によっている。

整理番号一ないし一五七の画地については、右のよな方法に従い、別紙(四)「宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書」記載のような計算式によって各画地の価格を算定した。なお、整理番号一ないし一四四の画地については、第三者に賃借されているので、借地権割合三〇パーセント(取引事例及び精通者意見等を参酌して評価した。)を乗じた額(借地権価額)を控除してある。このようにして算出された右各画地の価額の合計は、一億四二五四万一六五七円となる。

(三) 「市街地原野」の評価

整理番号一五八、一五九の画地(那覇市字安里二九五番ほか四筆)は、昭和四七年時点における土地の現況から、宅地の中に介在する原野(以下「市街地原野」という。)と判定した。評価基本通達によれば、市街地原野については宅地比準方式によって評価することとされている。宅地比準方式による評価は、当該原野の付近にある宅地について評価した一平方メートル当たりの価額を基とし、道路からの距離、形状等の条件を考慮して、その原野が宅地であると仮定した場合の一平方メートル当たりの価額を求め、その原野を宅地に転用する場合に通常必要と認められる一平方メートル当たりの造成費を控除した価額にその原野の地積を乗じて計算した金額による。

右の方法により、次のように評価計算した結果、本件市街地原野の時価は、整理番号一五八の画地が一五四九万〇一六〇円、同一五九の画地が一九四万七一九七円、合計一七四三万七三五七円となる。

(1) 整理番号一五八の画地

<1> 宅地であると仮定した場合の路線価 ・・・・・九八〇〇円

<2> 崖地等の評価補正減・・・・・〇・三五

画地の一部の傾斜地について崖地補正率により評価補正した崖地地積七〇ないし八〇平方メートルを適用

<3> 地上権(空中権)相当の評価補正減 ・・・・・〇・一六

本件画地の上空に高圧線が架設されており土地の利用が制約されることから、路線価の評価減が必要であるので、公用地の地上権割合〇・四〇に高圧線下の地積の本件画地に占める割合〇・四〇を乗じ、評価減割合を〇・一六とした。

<4> 宅地であると仮定した場合の一平方メートル当たりの価額 ・・・・・四八〇二円

(算式)

<1>×{1-(<2>+<3>}=4,802

<5> 宅地に転用する場合において通常必要と認められる一平方メートル当たりの造成費 ・・・・・・九一〇円

昭和四七年分の評価に関する個別通達には造成費に関する定めがなかったので、昭和四八年分の相続税財産評価基準の規定を参考にして評価を行った。すなわち、昭和四八年分通達によれば、山林原野に関する宅地造成費は、一平方メートル当たり七〇〇円とする、ただし実情に応じて三割以内の増減をしても差し支えないとされているので造成費の標準価格七〇〇円にその三割に相当する金額二一〇円を加えた九一〇円をもって造成費とした。

<6> 地積・・・・三九八〇平方メートル

<7> 時価・・・・一五四九万〇一六〇円

(算式)

(<4>-<5>)×<6>=15,490,160

(2) 整理番号一五九の画地

<1> 宅地であると仮定した場合の路線価 ・・・・・九八〇〇円

<2> 道路に直接接していないことによる評価補正減 ・・・・・〇・三

<3> 宅地であると仮定した場合の一平方メートル当たりの価額 ・・・・・六八六〇円

(算式)

<1>×(1-<2>)=6,860

<4> 宅地に転用する場合において通常必要と認められる一平方メートル当たりの造成費 ・・・・・・九一〇円

整理番号一五八の画地の場合と同じ。

<5> 地積・・・・・三二七・二六平方メートル

<6> 時価・・・・・一九四万七一九七円

(算式)

(<3>-<4>)×<5>=1,947,197

(四) 「公用地」の評価

整理番号一六〇、一六一の画地は、登記簿上の地目は畑であるが、評価時点における現況は公用地(軍用地)であり、公用地は、沖繩における公用地等の暫定使用に関する法律に基づいて政府と地主との間の賃貸借契約によって使用されている土地であるから、借地法及び農地法その他の法律との関連もない。したがって雑種地と認定した。評価基本通達によれば、雑種地の価額は雑種地の現況に応じ類似する付近の土地の評価方法に準じて評価することとされている。しかし公用地は立入禁止区域で現況の確認が困難であることから、路線価方式は不適切である。そこで、昭和四七年一二月七日付の沖繩国税事務所長通達(沖直資第一〇〇号。以下「一〇〇号通達」という。)では、倍率方式を採ることとし、「相続税評価基準額は、昭和四七年分に限り、復帰後の賃貸借契約に基づく賃貸料の一六倍相当額とする。」「賃借権の評価額を四〇パーセント控除する。」と定めている。賃貸料の一六倍相当額をもって軍用地の評価額としたのは、那覇防衛施設局が評価した一平方メートル当たりの評価額一万二九〇〇円を仲値とし、これに評価水準調整率六五パーセントを乗じた額八三八五円を年間賃料五一六円で除すると一六・二五倍となることを踏まえたものである。また、借地権の評価額を四〇パーセントとしたのは、軍用地は相続税法第二三条の規定による「存続期間の定めがない場合、または存続期間が二五年を超え三〇年以下の定めがある場合」に相当すると判断したからである。ところで、本件公用地の一平方メートル当たりの年間賃料額は五一六円であるから、一〇〇号通達に基づいて評価すると

516×16=8,256(円)

となり、これは本件公用地と地番を同じくしている市街地原野の一平方メートル当たりの価額(整理番号一五八番の画地につき三八九二円、同一五九番の画地につき五九五〇円)よりも高い。そこで、本件公用地の評価についても隣接する市街地原野とのバランスを考慮し、一〇〇号通達によって算定した額よりも低めに、次のように評価した。

(1) 整理番号一六〇番の画地

<1> 価額 三七九万一七六〇円(地積は八四二・九五平方メートルであるので、一平方メートル当たりの価格は約四四九八円)

<2> 借地権割合 ・・・・〇・四〇

<3> 借地権控除後の時価 ・・・・二二七万五〇五六円

(算式)

<1>×(1-<2>)=2,275,056

(2) 整理番号一六一番の画地

<1> 価額 一七八五万一八四三円(地積は三九六六・九四平方メートルであるので、一平方メートル当たりの価格は、約四五〇〇円)

<2> 借地権割合 ・・・・〇・四〇

<3> 借地権控除後の時価 ・・・・一〇七一万一一〇五円

(算式)

<1>×(1-<2>)=10,711,105

右価額は、那覇防衛施設局が評価した本件公用地の価額(一平方メートル当たり一万二九〇〇円)と比較してはるかに低いこと、昭和四七年当時軍用地は年間賃料の一五ないし一六年分で取引されており、それが当時の時価であったが、それと比較しても三分の一程度ではるかに低いこと、昭和四八年分以降は固定資産評価額に基づいて倍率評価をするための評価基準が整備されているが、同基準により本件公用地を評価した場合と比較しても約五割程度で決して高きに失することはないこと、以上のような事実からして、本件公用地についての前記評価額は相当なものである。

四  被告の主張に対する原告の認否及び反論

1(一)  被告の主張1(一)のうち、本件各土地の所有者であった嘉彦が原告に対し本件各土地を贈与したとの事実は認めるが、その余は否認する。同1(三)のうち、原告が法定の期間内に昭和四七年分の贈与税の申告書を提出しなかった事実は認める。同1(四)の主張は争う。

(二)  同2(一)の事実は認める。同2(二)のうち、(2)、(4)の事実及び(3)のうち軍用地と民間借地の賃貸借契約が被告主張の時期まで嘉彦名義で締結されていた事実は認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

(三)  同3の主張は全部争う。

2  本件贈与の時期について

(一) 原告が本件各土地の贈与を受けたのは昭和四三年一〇月六日である。すなわち、

(1) 本件各土地はもと嘉彦の兄具志堅嘉貞(以下「嘉貞」という。同人は具志堅品太の長男であり、具志堅嘉信が二男、嘉彦は三男にあたる。)が所有していたものであるが、嘉貞は昭和一九年一〇月一〇日空襲で死亡し、同人の妻も唯一の直系卑属たる養子安男も既に亡く、また右嘉信も既に死亡していて他に相続人がいなかったため、嘉彦が旧民法上嘉貞の家督を相続すべき地位にあった。そこで、戦後の土地所有権の認定に際し、嘉彦は、親族会を開いた結果、本件各土地について同人名義で申請をして所有権の認定を受け、昭和二八年五月一六日所有権保存登記を経由した。これを法的に評価すれば、嘉彦は、嘉貞の選定家督相続人として本件各土地の所有権を相続により取得したものとみるほかはないが、沖繩の慣習によれば、兄の跡を弟が継ぐことは「チヨーデーカサバイ」として忌み嫌われるため、嘉彦及び親族らの意識としては、本件各土地は嘉貞の祭祀承継者が所有権を取得すべきもので、嘉彦はそれが決まるまでの間本件各土地を一時的に管理するにすぎないものと考えられていた。

(2) ところで、原告は嘉彦の長男具志堅行一(以下「行一」という。)と同ノブ(以下「ノブ」という。)の戸籍上の長男であることから、沖繩の慣習によれば嘉彦及び行一の祭祀を承継すべき者であって、嘉貞の祭祀承継者にはなりえない、したがって本件各土地の所有権を取得すべき立場にはないものと考えられていた。ところが、昭和四三年一〇月三日行一が大見謝千代(嘉信の長女)と共に宮古島を訪れた際、ユタ(占師)の託宣により原告には生後間もなく死亡した双子の兄姉があり、原告は実際には長男でないので、嘉貞の祭祀承継者となっても差し支えないことが判明した。そこで、同月六日、嘉彦は行一、ノブと相談のうえ、原告を嘉貞の祭祀承継者と定め、原告に本件各土地を贈与することとして、その証のため「具志堅家所有土地の名義変更に関する件」と題する文書(甲第一号証の原本)を作成したものである。右文書には「贈与」の文言こそないけれども、前叙のような沖繩の慣習と嘉彦らの意識を考慮すると、嘉彦は右文書をもって同人が相続によって取得した本件各土地の所有権を嘉貞の祭祀承継者たる原告に贈与する旨の意思表示をしたものと解するほかはなく、右文書作成にあたっては、当時未成年者であった原告の法定代理人である行一とノブが嘉彦と話し合い、原告が嘉貞の祭祀承継者となって本件各土地の所有権を承継することを承諾したのであるから、右同日嘉彦と原告との間に本件各土地の贈与契約が成立したとみるべきである。

(二) 仮に右(一)の主張が認められないとすれば、原告が本件各土地の贈与を受けたのは、昭和四六年八月上旬である。すなわち、本件各土地には前述のとおり嘉彦のために所有権保存登記が経由されていたのであるが、嘉彦は、沖繩の日本復帰を翌年に控えた昭和四六年八月上旬ころ、復帰前に本件各土地の所有権の帰属に関する問題を解決しておきたいと強く考え、行一、ノブ及び原告にその意思を伝え、原告らもこれを承諾したうえで、行一、ノブらが嘉彦の意を受けて宮里敏慶司法書士に本件各土地について原告への所有権移転登記の手続を依頼したものである。したがって、右手続の依頼に先立ち、嘉彦、原告間において本件各土地の贈与契約が成立したとみるべきである。

(三)(1) ところで、前記のように行一、ノブらが本件各土地の登記名義を原告に移転する手続の依頼を受けた宮里司法書士は、行一、ノブらの説明を聞き、関係者らの意識としては本件各土地は嘉貞から直接に原告へ所有権が移転するものと考えられており、したがって本件各土地が登記簿上嘉彦名義となっているのは真実を表すものではなく、これを是正するためには調停手続によるのが最も適当であると判断し、被告の主張に係る調停の申立てをしたものである。もっとも、実際に調停の申立てをしたのは昭和四七年四月二五日であるが、これは前記の依頼後、精神状態が正常ではない行一が飲酒のうえ手続をしばらく待つように申し入れてきたからにすぎない。したがって、右調停の申立ては嘉彦、原告間に既に成立した贈与契約に伴う登記名義変更のための便宜的手段として行われたものにすぎず、右調停の成立によって贈与が行われたと認定するのは失当である。

(2) 原告が本件各土地の受贈益について所得税の申告をしなかったのは、沖繩の慣習に従い贈与とは考えていなかったからであり、贈与後も昭和四八年分まで地代に係る不動産所得について嘉彦名義で申告したのは、贈与があったとはいえ当時原告は未成年者であり家長である嘉彦の監督庇護の下に生活するという実態には何ら変化がないので、登記名義を変えるまで従前通りの方法で申告していたにすぎない。また、本件各土地の賃貸借契約の当事者が贈与後も嘉彦名義になっていたのも同様に従前の形式を踏襲していただけである。

(四) 以上いずれにしても本件各土地の受贈については相続税法による贈与税の課税の対象とはなりえないから、本件各処処分は違法である。

3  贈与財産の価額評価の違法

(一) 租税法律主義の原則違反

被告が本件各処分をするに当たり、法律上の根拠なく、公示された路線価図に基づかず、沖繩国税事務所長の定めた通達をもって昭和四五年一〇月一日時点の琉球政府作成の公示されていない路線価図における仲値価額を基礎としてこれに時点修正、評価水準調整を行い、これによって路線価を算出し課税したことは、憲法第八四条の定める租税法律主義の原則に違反し、明らかに違法である。すなわち、租税法律主義の中心的内容をなすのは課税要件法定主義であり、ここに課税要件とは納税義務者、課税物件、その帰属、課税標準、税率等をいうが、そのうち課税標準はそれに対し一定の税率が適用されて税額が算出されるものであることを考えれば、課税標準額を算出する評価方法も課税要件の一部を占め、課税要件法定主義の一内容をなすものというべきである。しかして、これらの課税要件は必ず法律によって定めなければならないとするのが課税要件法定主義であるが、これを厳格に貫くことはかえって不都合になる場合もあるので、ときには一定の事項を命令に委任し、あるいは通達の形式で法律又は命令の細目若しくは解釈を示達することが避けがたいこともある。しかしながら、租税法律主義の原則からいって命令への委任は具体的、個別的であることを要し、概括的・白地的委任は許されないのであり、ましてや行政運営上の必要に基づき上級行政庁から下級行政庁に発せられる通達で重要な課税要件を定めることは絶対に許されないところである。

ところで、わが国の課税の実務においては、評価基本通達において課税物件の評価方法を詳細に定め、他方右評価方法を適用すべき物件の基礎価額を表示する路線価図を作成し、両者相まって課税標準を算定して課税が行われているのである。本来ならば法律又はその委任による命令でもない基本通達、路線価図により課税要件を定めることは明らかに違法であるというべきであるが、これらの基本通達、路線価図は本件各処分の場合と異なりいずれも法律、命令と同様に初めから公示されていることによって、納税者に対してこれを基準にして課税が行われるという一種の予測とこれに基づいて申告すれば間違いないという信頼感を与え、今や納税者の信頼関係が固定しているのであって、違法の疑い顕著である反面、租税法律主義のぎりぎりの要請を満たしているかの如き観を呈しているのである。したがって、基本通達や路線価図の公示は租税法律主義の原則の最低要件を満たすために行われているのである。仮に路線価図、通達を公示すべき根拠が前叙のとおりでないとすれば、右公示義務は慣習に求められるべきである。長期間にわたって繰り返されることによって、納税者に対し前叙のような一種の予測と信頼感を与え、納税者の信頼関係が固定すると共に、課税庁に対してもこれに基づく申告がなされる限り個別的調査が不用となる等多くの便益を与えることによって、今や慣習上の義務にまで高められているのである。このような慣習の成立は申告納税制度と無縁のものではなく、右制度の下においては、納税者に対し評価の基準が公示されることが望ましいことは当然である。

ところが、本件の場合、沖繩国税事務所長は法律、命令の具体的委任がないのにもかかわらず通達をもって課税物件の評価方法を決定し、これに基づき被告が課税処分をしたもので、このように納税者の知り得ない内部資料に基づいて課税することは、租税法律主義の原則に反すると共に申告納税制度の趣旨にもとる違法な課税処分である。仮にしからずとするも、少なくとも、路線価図、沖繩国税事務所長の個別通達が公示されるまでは納税者は申告納税ができないか、あるいはこれらに対する信頼関係上いずれ公示をまって申告すれば可なりと考えるのは当然であるから、その間の滞納は納税者の責めに帰すべき滞納ではないので、これに対し加算税を課することは違法であると言わねばならない。

(二) 市街地原野の評価に関する違法

被告は、市街地原野の評価につき、昭和四七年分の評価に関する個別通達には宅地造成費に関する定めがなかったので、昭和四八年分の相続税財産評価基準の規定を参考にして宅地造成費を求め、評価を行ったというが、このように異なった年分の規定を用いることは被告の権限外のことであって、国家公務員法第九八条の法令及び上司の命令に従う義務にも反し、違法、無効である。

また、昭和四七年分の相続財産評価に関する個別通達によれば、「その他の土地」は先ず宅地に準じて評価し、その額から宅地造成費を控除した金額に七〇パーセントを乗じた価格を評価水準とすべきであるのに、被告がこれに従っていないのは違法である。

(三) 公用地の評価に関する違法

被告が公用地の評価につき、通達に従い固定資産課税台帳価格に定められた倍率を乗じて評価する倍率方式を採ることなく、課税年度における固定資産課税台帳価格と異る数値を用い、かつ、担当税務職員がその裁量によって独自の倍率を乗じて評価を行ったのは、担当職員の権限外の行為による評価であり、税法の大原則である公平負担の原則に反することにもなるから、違法である。

五  原告の主張に対する被告の再反論

1  原告は、路線価図、沖繩国税事務所長の個別通達がいずれも公示されていないことを理由として、納税者の知り得ない内部資料に基づき課税することは租税法律主義に反する違法な課税処分といわなければならない、と主張している。

2  しかしながら、租税法律主義というのは、納税義務者、課税物件、課税標準、税率等の各種の課税要件のほか、租税の賦課、徴収の手続が法律によって定められなければならないことを要求する主義をいうところ、贈与税の課税要件については相続税法に、賦課及び徴収の手続については国税通則法、国税徴収法に明文の規定がおかれており、原告に対する本件課税処分もこれらの規定に基づきなされたものであるから、本件課税処分が違法となるいわれはない。

3  ところで、課税標準とは課税物件を金額とか物量とかの形で数量化したものをいい、これを贈与税についていえば、贈与税の課税物件は「贈与により取得した財産」(相続税法第二条の二)であり、その課税標準は「贈与により取得した財産の価額の合計額」であり、これを相続税法は贈与税の課税価格と呼んでいる(同法第二一条の二)。そして、その課税価格は、「特別の定めあるものを除く外、相続、遺贈又は贈与により取得した財産の価額は、当該財産の取得の時における時価により、当該財産の価額から控除すべき債務の金額は、その時の現況による」ものとして(同法第二二条)、いわゆる時価主義を採用している。ここで時価というのは客観的な交換価値のことであり、不特定多数の当事者間の自由な取引において通常成立すると認められる価額を意味する。しかし、相続税及び贈与税の課税対象となる財産は、土地、家屋などの不動産をはじめとして、動産、無体財産権、有価証券など多種多様であり、これらの各種の財産の時価を的確に評価することは必ずしも容易ではない。そこで、課税庁は、「相続税財産評価に関する基本通達(国税庁長官発昭和三九年四月二五日付け直資五六直審(資)一七」及び「相続財産評価基準」などの評価通達を定め、各財産の評価方法に共通する原則並びに各種の財産の評価方法を具体的に規定し、その内部的な取扱いを統一するとともに、当該評価通達を公開して、納税者の申告、納税の便に供することとし、もって、課税の適正、公平を期することとしているのである。ただ評価通達は、元来法規の性質をもつものではなく、課税庁における内部的な評価方法を定めたいわゆる行政解釈を示したものであって、必ずしも納税者を拘束するものではないし、また、個別の財産の評価はその価額に影響を与えるあらゆる事情を考慮して行われるべきであるから、ある財産について仮に課税庁が評価通達の趣旨に反する評価をした場合においても、そのことを理由として課税処分の効力が左右されることはない。要するに、贈与税の課税価格の適否は、結局のところ、法律で定めた「時価」の適否、換言すれば、その時価の評価の合理性の有無に帰するものである。

4  また、評価通達そのものは、前述したように実体としての法規ではなく、課税庁の行政解釈を示した内部的な取扱いを定めたものであって、これが公開されていないからといって当該通達が租税法律主義の原則に反するものでもないし、また、当該通達に基づく課税処分が当然に違法となるものでないことは論をまたないところである。

なお、右評価通達及び路線価図は税務署において現実に公開され、納税者の申告、納税の便に供されていたものであり、一般の納税者は、昭和四七年分の相続税及び贈与税の申告にあたって、右通達等を参考にして時価評価をしているのであるから、被告が「評価基準」を公開していないという原告の主張は失当である。

第三証拠関係

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件各土地はもと嘉彦の所有であったところ、同人はこれを原告に贈与したこと、原告は、昭和四七年四月二五日、嘉彦を相手方として、本件各土地の所有権確認と同人名義でなされた所有権保存登記等の抹消登記手続を求める調停を那覇地方裁判所に申し立て(同裁判所一九七二年(ノ)第一一号事件)同年七月二〇日、原告、嘉彦が出頭のうえ、本件各土地が原告の所有であることを確認し、嘉彦が原告に対し本件各土地についてなされた所有権保存登記等の抹消登記手続をするとの内容の調停が成立し、その調停調書を原因証書として、本件各土地について同年一二月四日付で嘉彦名義の所有権保存登記等の抹消登記が、次いで昭和四八年九月一一日付で原告のための所有権保存登記がそれぞれ経由されたこと、被告は、嘉彦、原告間の本件各土地の贈与の成立時期を右調停成立日である昭和四七年七月二〇日と認定したが、原告が法定の期間内に昭和四七年分の贈与税の申告書を提出しなかったため、昭和五三年二月二七日付で原告に対して本件各処分をしたこと、原告は、昭和五三年四月四日被告に対し本件各処分についての異議申立てをしたが、同年七月八日付でこれを棄却されたので、同月一七日国税不服審判所長に対し審査請求をしたが、昭和五五年三月三一日付でこれを棄却されたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  贈与の時期について

1  原告は、嘉彦、原告間の本件各土地の贈与の時期についての被告の認定を争い、右贈与がなされたのは昭和四三年一〇月六日であり、仮にそうでないとしても昭和四六年八月上旬であると主張するので、以下順次検討するが、それに先立ち嘉彦が本件各土地の所有権を取得した経緯について触れておくこととする。

成立に争いのない乙第一八号証、第二二号証、証人大見謝千代の証言により真正に成立したものと認められる甲第四号証、同証言並びに弁論の全趣旨を総合すると、本件各土地はもと嘉彦の兄嘉貞が所有していたものであるが、嘉貞は昭和一九年一〇月一〇日の那覇空襲で死亡したこと、嘉貞は具志堅品太の長男であり、嘉信が二男、嘉彦は三男にあたるところ、嘉貞と妻克子(昭和一七年三月死亡)との間には実子がなく、養子に迎えていた嘉信の二男安男は昭和一九年五月に死亡しており、嘉信も既に昭和一二年二月死亡していたため、嘉彦が旧民法上嘉貞の家督を相続すべき地位にあったこと、ところが、沖縄の慣習では兄の跡を弟が継ぐことはいわゆる「チヨーデー・カサバイ」として忌み嫌われるため、嘉彦ら関係者の意識としては、嘉彦は嘉貞の家督を継ぐべきものではなく、本件各土地等嘉貞の遺産は沖縄の慣習に従って決められる嘉貞の祭祀承継者がこれを取得するべきであると考えられていたこと、しかし、終戦後行われた土地所有権認定事業の当時嘉貞の祭祀承継者が未だ決定されるに至っていなかったため、嘉彦は、親族会を開いた結果、本件各土地を含む旧嘉貞所有地について嘉彦名義で申請をして所有権の認定を受け、その名義による所有権保存登記を経由したこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

しかして、右事実によれば、沖縄の慣習及びその影響下にある嘉彦ら関係者の意識はともかくとして、法的にみる限り、嘉彦は、旧民法による嘉貞の選定家督相続人として本件各土地の所有権を相続により取得したものと解するほかはない。

2  ところで原告は、原告は嘉彦の長男行一とその妻ノブ間の戸籍上の長男であることから、沖縄の慣習によれば嘉彦及び行一の祭祀を承継すべき者であって、嘉貞の祭祀承継者にはなりえない、したがって本件各土地の所有権を取得すべき立場にはないものと考えられていたが、昭和四三年一〇月、宮古島のユタの託宣により、原告には生後間もなく死亡した双子の兄姉があり、原告は実際には長男でないので、嘉貞の祭祀承継者となっても差し支えないことが判明したところから、同月六日、嘉彦は行一、ノブと相談のうえ、原告を嘉貞の祭祀承継者と定め、原告に本件各土地を贈与することとして、その証のため「具志堅家所有土地の名義変更に関する件」と題する文書(甲第一号証の原本)を作成した旨主張し、前掲乙第一八号証、証人大見謝千代、同具志堅ノブの各証言中には右主張に副う供述がある。しかしながら、前掲乙第一八号証、成立に争いのない乙第五号証並びに弁論の全趣旨によれば、右甲第一号証の原本は、国税不服審判所における本件審査請求の段階及び当裁判所の審理を通じて遂に提出されるに至らなかったもので、このこと自体右文書の真正な成立について疑いを挾むに十分な理由となりうるばかりでなく、行一と共に宮古島のユタの託宣を聞き、これを契機として原告を嘉彦の祭祀承継者とするについて重要な役割りを果たしたはずの大見謝千代が、国税不服審判所の段階では右文書の作成経過を述べながら(乙第一八号証)、他方当裁判所においては、「甲第一号証(の原本)には見覚えがなく、作ったという話も聞いていません」と明らかにこれと異なる証言をしていることも注目されるのである。さらに、右文書が真に原告主張のような目的で作成されたものであれば、後記認定のように本件各土地の登記名義の変更手続を宮里敏慶司法書士に依頼した際所有権移転の原因に関する証書として当然同司法書士に提示されて然るべきであるのに、成立に争いのない乙第一九号証及び証人宮里敏慶の証言によれば、同司法書士が右手続受任の際関係書類として提示されたのは一九六四年二月九日付「具志堅家土地分割分譲に関する覚書」(甲第四号証)だけで、前記文書は提示されなかったことが認められるのであって、甚だ諒解に苦しむところといわざるをえないのである。以上のほか、右甲第一号証の嘉彦の署名が同人の自署でないこと(このことは、証人具志堅ノブの証言及び弁論の全趣旨に照らして明らかである。)成立に争いのない甲第六号証及び弁論の全趣旨によれば、原告は昭和四三年当時未成年であり、父行一、母ノブの共同親権に服していたことが明らかであるのに、甲第一号証には、ノブのみが、しかも立会人として署名捺印しているにすぎないこと等をも併せ考えると、前記「具志堅家所有土地の名義変更に関する件」なる文書がその作成日付である一九六八年(昭和四三年)一〇月六日にその作成名義人たる嘉彦の意思に基づいて作成されたものとは認め難いものというほかはない。のみならず、前掲乙第一八号証、証人大見謝千代の証言によれば、昭和四三年一〇月以降も、行一は、その長男である原告が嘉貞の祭祀承継者となることに反対し、本件各土地を含む嘉彦名義の財産についてはその長男である自分がこれを継ぐべきことを主張しており、嘉彦自身も財産を手離すことに難色を示していたことが窺えるのであって、これらの事実をも勘案すると、原告の主張するように昭和四三年一〇月に原告を嘉貞の祭祀承継者としてこれに本件各土地を贈与するとの確定的な合意が関係者間に成立したとするにはなお多くの疑問が残るというべきであり、前掲乙第一八号証、証人大見謝千代、同具志堅ノブの各証言中原告の主張に副う供述部分はにわかに措信し難いというほかはない。

したがって、本件各土地の贈与の時期を昭和四三年一〇月六日とする原告の主張は理由がなく、採用することができない。

3  次に、前掲乙第一八、第一九号証、第二二号証、成立に争いのない甲第二、第三号証、乙第二〇号証、証人大見謝千代、同宮里敏慶、同具志堅ノブ、同仲大安勇の各証言に弁論の全趣旨を総合すると、昭和四六年夏ごろ、行一、ノブ及び大見謝千代が宮里敏慶司法書士を訪れ、「具志堅家土地分割分譲に関する覚書」(甲第四号証)を提示して、本件各土地は嘉彦名義ではあるが嘉貞の所有であり、その祭祀承継者がこれを継ぐべきものであるとの事情を説明し、本件各土地の登記名義を原告に変更する手続を依頼したこと、ところが、その後間もなく行一が同司法書士に対し右の登記手続を取りやめるよう申し入れたため、同司法書士もこれを容れて手続を進めなかったこと、翌昭和四七年四月ごろ、ノブと大見謝千代が宮里司法書士に対して右手続の促進方を申し入れたこと、同司法書士は、前記覚書及びノブらの前記説明を検討した結果、嘉彦は本件各土地の登記名義人ではあるが真の所有者ではなく、単なる管理人の地位にあるにすぎないものであり、その登記名義を是正するためには調停手続によるほかないものと判断し、原告を申立人、嘉彦を相手方として、本件各土地についての原告の所有権の確認と嘉彦名義の所有権保存登記等の抹消登記手続を求める調停申立書を作成し、昭和四七年四月二五日那覇地方裁判所に提出したこと、そして、調停手続が進められた結果、前示のとおり同年七月二〇日調停が成立するに至ったこと、

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、原告は、昭和四六年八月上旬原告の両親らが宮里司法書士に本件各土地の登記名義変更手続を依頼するに先立ち、嘉彦、原告間に本件各土地の贈与が成立したものとみるべきである旨主張するが、原告主張の右時期に贈与が行われたことを直接立証する的確な証拠はない。もっとも、本件は嘉彦、原告間に本件各土地の贈与契約が明確な形で存在する事例ではなく、明示的な契約は存在しないけれども、本件各土地が嘉彦の所有であったことを前提とする限り(この点については前示のとおり当事者間に争いがないし、法律的には本件各土地は嘉貞を被相続人とする家督相続により嘉彦がその所有権を承継取得したと解されることも前示のとおりである。)、同人から原告への所有権移転は贈与とみるほかないという特殊な事案であり、被告もこのような前提に立ちながら贈与の時期を調停成立時と判断しているのである(この判断が結局正当であることは後記のとおりであるが、前示調停も、その申立の趣旨、原因及び調停条項をみる限りにおいては、これによって贈与契約が明示的に成立したと認定することは困難というほかはないのであり、結局は前記のような前提に立ちつつ右調停に用いられた文言を離れてその趣旨を合理的に解釈すれば贈与の時期を調停成立時に求めるのが相当であるという法的判断の問題に帰着するのである。)から、原告が宮里司法書士に対する名義変更手続依頼の前提としてこれに先立ち贈与が成立したとみるべきであると主張することにも一理なしとしない。しかしながら、そのような解釈を容れる余地がありうるとしても、以下の理由により原告の主張を採用することはできない。すなわち、国税通則法第一五条第二項第五号によれば贈与税の納税義務は贈与(いわゆる死因贈与を除く。)による財産の取得の時に成立するものとされているところ、贈与税が贈与による財産権の移転すなわち財産の無償移転による受贈者の財産の増加に担税力を認めて課される租税であるところからすれば、右にいう「取得の時」とは、贈与による財産権の移転が当事者間において確定的に生じたものと客観的に認められる時、すなわち書面による贈与にあってはその効力発生の時、また、書面によらない贈与にあってはその取消(撤回)の可能性(民法第五五〇条)が消滅した時、例えば不動産の贈与においてはその引渡又は所有権移転登記経由の時をいうものと解するのが相当である。しかして、本件の場合、昭和四六年夏頃ノブらが宮里司法書士に本件各土地の名義変更手続を依頼した時点においては、嘉彦から原告への所有権移転贈与について書面が作成されていなかったことは叙上認定の事実関係に照らして明らかであり(前掲甲第四号証が右にいう書面にあたらないことはいうまでもない。)、かつ、行一が手続の中止方を申し入れたことに暗示されるように、嘉彦から原告への登記名義の移転すなわち原告を嘉貞の祭祀承継者と定めることについてなお関係者間に異議が存したものと考えざるをえないし、そもそも右名義変更手続の依頼に肝腎の原告の意思が果たして反映されていたかどうか証拠上甚だ疑問といわざるをえないのである。さらに、原告が沖縄の本土復帰前に本件受贈益について沖縄の所得税法による所得税の申告をしておらず、本件各土地の地代に係る不動産所得については昭和四八年分までは嘉彦の所得として同人から確定申告がなされていること、本件各土地のうち公用地(軍用地)については、昭和四八年分(昭和四八年四月一日から昭和四九年三月三一日まで)までは嘉彦がその所有者として国と賃貸借契約を締結していること、本件各土地のうち民間借地についても、嘉彦が死亡した昭和四九年四月六日までは同人名義で賃貸借契約が締結されていること、以上の事実は当事者間に争いがなく、これらの事実をも勘案すると、前記名義変更手続依頼の時をもって本件各土地の贈与による「取得の時」と認めることは困難というほかなく、原告の前記主張は失当である。

4  しかして、以上検討したところによれば、前記調停申立に基づいて開かれた裁判所の調停期日において嘉彦及び原告が出頭の上前示のような調停が成立した昭和四七年七月二〇日には、右当事者間における贈与による本件各土地所有権移転の効果が確定的に発生したものと認められるから、この時をもって本件各土地の「取得の時」と認めて贈与税を賦課した被告の判断は正当であり、何らの違法はないというべきである。

三  贈与財産の価額の評価について

1  相続税法第二二条によれば、贈与に因り取得した財産の価額は、原則として「当該財産の取得の時における時価」によるものとされており、右にいう「時価」とは、当該財産の客観的交換価値、すなわちそれぞれの財産の現況に応じ、不特定多数の当事者間で自由な取引が行われる場合通常成立すると認められる価額をいうものと解するのが相当である。そして、成立に争いのない乙第九号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、国税庁では、各種財産について右の意味における時価を算定するための基準及び評価方法等を定めた「相続税財産評価に関する基本通達(昭三九直資五六)」(評価基本通達)を発し、この通達の定めによって評価した価額をもって時価を定めることとし、もって全国的な課税の統一と公平を図っていることが認められる。

2  そこで、次に被告のした本件各土地の評価方法について検討するに、右乙第九号証の一、二、成立に争いがない乙第一〇号証、第二三号証、第二五号証の一ないし一五七、第二六、第二七号証、第二九号証の一ないし三、第三〇号証、第三五号証、第三六号証の一、二、第三七号証、原本の存在及び成立に争いがない同第二四号証、証人松川哲郎、同与那嶺文夫、同杉山忠司の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  被告は本件各土地の現地調査を行い、現実の利用状況に基づいて本件各土地を一六一の区画に分けそれぞれに整理番号を付したうえ、贈与時期と判断した昭和四七年七月当時の整理番号一ないし一五七の各土地の現況を「宅地」と、同一五八及び一五九の各土地の現況を「市街地原野」(宅地の中に介在する原野)と、また、同一六〇及び一六一の各土地の現況を「公用地」(沖縄における公用地の暫定使用に関する法律に基づいて国がアメリカ合衆国軍隊用地等として使用する土地)とそれぞれ認定し、公衆用道路と認められる部分については評価の対象から除外した。

(二)  そして、右整理番号一ないし一五七の「宅地」については、評価基本通達の定める路線価方式により評価することとしたが、通常路線価は、当該課税年分の前年の七月一日を評価基準日とし、その基準日における仲値を基に評定されるものであるところ、沖縄国税事務所においては、昭和四七年分の路線価評定の基となるその前年の仲値算定作業が本土復帰準備事務の輻輳により実施できなかったため、沖縄国税事務所長の個別通達によって、復帰前に琉球政府が作成した昭和四五年一〇月一日時点の路線価図における仲値価額を基礎として、これに地価上昇率を基に精通者意見を参酌して評定した地価変動率一一五パーセントを乗じて時点修正を行い、更に評価の安全性を考慮して評価を低めに抑えるため評価水準調節率六五パーセントを乗じて昭和四七年分の路線価を算定(なお、ドル表示を沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律第四九条第一項所定の交換比率によって円に換算)するものとされていたので、これによることとし、整理番号一ないし一四四の各土地については、第三者に賃借されているので、取引事例及び精通者意見等を参酌して評価した借地権割合三〇パーセントを乗じて得た借地権価額を控除した。しかして、各土地ごとの具体的計算方法は別紙(四)「宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書」記載のとおりである。

(三)  次に、整理番号一五八、一五九の「市街地原野」については、評価基本通達の定める宅地比準方式によりこれを評価することとし、前記(二)の方法で評定された路線価に基づいて右各土地が宅地であると仮定した場合の価額を求め、これに道路との関係、地形、利用条件等による補正を施したうえ、宅地造成費を一平方メートル当たり九一〇円として、これを控除して評価を行った。しかして、各土地ごとの具体的計算方法は被告の主張3(三)記載のとおりである。

(四)  ところで前述の意味における「公用地」ことに立入禁止になっている施設、区域に係るものについては、その特殊性に鑑み、その評価がかねてより課税取扱い上の懸案事項とされていたが、沖縄国税事務所長は、昭和四七年一二月七日付の「昭和四七年分および昭和四八年分以降にかかる公用地(立入禁止になっている施設、区域以外の土地を除く。)の評価について」と題する通達(沖直資第一〇〇号。「一〇〇号通達」)を発し、復帰前の琉球政府における公用地の評価事務及び沖縄国税事務所において行った公用地の実態調査等を勘案し、昭和四七年分及び昭和四八年分以降の公用地の評価事務について統一した事務処理を図るための取扱いを定めた。この一〇〇号通達においては、昭和四七年分の公用地の評価につき、「相続税評価基準額は昭和四七年分に限り復帰後の賃貸契約に基づく賃貸料の一六倍相当額とする。」「賃借権の設定に伴う使用権の制限相当額は、相続税法第二三条の規定による存続期間の定めがない場合または存続期間二五年を超え三〇年以下の範囲に位置するものとし、四〇パーセント相当額を賃借権の評価額とする。」とし、前者から後者を控除した額をもって相続税の課税価額とする旨定められており、整理番号一六〇及び一六一の各土地(本件公用地)の昭和四七年度における一平方メートル当たりの年間賃借料(軍用地料)は五一六円であるから、右通達所定の方法で算定すると相続税評価基準額は一平方メートル当たり八二五六円となるが、被告は、軍用地料は民間の土地の賃料と比較して高額であるところから、評価の安全性を考慮して、それよりも低目の一平方メートル当たり約四五〇〇円としてこれを評価した。しかして、各土地ごとの具体的な計算方法は、被告の主張3(四)記載のとおりである。ちなみに、右各土地が存する牧港住宅地区内の地目が宅地以外の土地の那覇防衛施設局の右年度における一平方メートル当たりの評価額は一万二九〇〇円であり、被告のした右課税価額の評価額は、評価基本通達の定めるところに従い固定資産税評価額に一定の倍率を乗じて倍率方式評価額を求めるようになった昭和四八年分以降の評価方法と同様の方法によって評価した場合の課税価額とほぼ一致する。

3  以上認定の事実によれば、被告がした本件贈与財産の課税価額の評価は、基本的には評価基本通達及び、沖縄の本土復帰という未曽有の事態下において、復帰前の琉球政府が行っていた財産評価方法との連続性、整合性を勘案しつつ、公用地(軍用地)という沖縄特有の土地制度の実情に即して、統一的かつ公平な課税を図るために発せられた沖縄国税事務所長の個別通達に従い、一部これを納税義務者たる原告に有利に修正してなされたものであって、前示の意義における本件各土地の「時価」算定の方法として合理的であり、これによって算出された課税評価額は本件各土地の客観的交換価値より低くなることはあってもそれを超えるものではないと認めるのが相当である。

しかして、右評価額が、前記整理番号一ないし一五七の「宅地」につき合計一億四二五四万一六五七円、同一五八及び一五九の「市街地原野」につき合計一七四三万七三五七円、同一六〇及び一六一の「公用地」につき合計一二九八万六一六一円となることは計算上明らかである。

4  原告は、被告のした本件贈与財産の価額の評価は違法である旨主張するので、以下順次検討する。

(一)  まず原告は、被告が本件各処分をするに当たり、法律上の根拠がないのに、公示された路線価図に基づくことなく、沖縄国税事務所長の個別通達をもって、公示されていない琉球政府作成の昭和四五年一〇月一日時点の路線価図における仲値価額を基礎としてこれに時点修正、評価水準調整を行い、これによって路線価を算出し課税したことは、租税法律主義の原則に違反し、違法である旨主張する。

しかしながら、租税法律主義は、納税義務者、課税物件、その帰属、課税標準、税率等の課税要件のほか、租税の賦課・徴収の手続が法律によって定められなければならないとする主義をいうが、原告が本件で問題とする贈与税の課税要件はそのすべてが相続税法に明文をもって規定されているところであり、なかんずく贈与税の課税標準(これを同法は「贈与税の課税価格」とよんでいる。)をなす「贈与に因り取得した財産の価額」は、同法第二三条以下に特別の定めのあるものを除く外、「当該財産の取得の時における時価により、当該財産の価額から控除すべき債務の金額は、その時の現況による」ものとされている(同法第二二条)。そして、右にいう「時価」が当該財産の客観的交換価値を指すものであることはさきに判示したとおりであり、その内容が不明確であるとは到底認められないから租税法律主義の要請は満たされているものというべきである。しかして、前示評価基本通達は、相続税及び贈与税の課税対象となる財産が多種多様であり、その的確な評価が必ずしも容易でないことに鑑み、各種財産の「時価」の評価に関する原則及びその具体的評価方法等を規定し、もって課税庁内部の取扱いを統一するとともに課税の適正・公平を図っているのであるが、通達は行政事務の適正な処理を図るために上級行政庁が下級行政庁ないし所部の職員に対し行政運営上租税法規の解釈適用の基準を示し、その取扱方針を指示するもので、もとより法令ではないから納税義務者及び裁判所に対する法的拘束力を有するものではなく、また、仮に課税庁がこれに違反し、あるいはこれを逸脱して課税処分を行ったとしても、そのことだけで課税処分が直ちに違法となるものとは解することができない。まして、通達(基本通達であると個別通達であるとを問わない。)やこれに基づいて作成される路線価図が公示(公表)されないとしても、それが租税法律主義に違反するものであるとは到底考え難い。課税標準額を算出する評価方法も課税要件の一部を占め、課税要件法定主義の原則に服するものであり、通達や路線価図の公示は租税法律主義の原則の最低要件を満たすために必要であるという原告の所論は独自の見解であって到底左袒することができず、また、それらを公示すべき慣習が成立していると認めるに足りる証拠はない。ちなみに、課税処分取消訴訟において訴訟物とされるのは、課税標準に対する課税の違法一般である(最高裁判所昭和四八年(行ツ)第九四号同四九年四月一四日、第一小法廷判決・訟務月報二〇巻一一号一七五頁参照)。したがって、課税庁は課税処分の実体面、手続面における適法性全般を立証する責任があるが、実体的適法性に関しては、課税処分後に収集された資料に基づくなどして、課税処分時に考慮されなかった事実を処分の正当性を維持する理由として新たに主張することも許されると解すべきであり、そのようにして収集された資料によって課税処分が客観的に正当であることが立証されさえすれば、右処分を違法とする理由はない(前記判決のほか、最高裁判所昭和三五年(オ)第一八〇号同三六年一二月一日第二小法廷判決・裁判集民事五七号一二頁、同裁判所同三九年第(行ツ)第六五号同四二年九月一二日第三小法廷判決・裁判集民事八八号三八七頁、同裁判所同五〇年(行ツ)第一〇号同年六月一二日第一小法廷判決・訟務月報二一巻七号一五四七頁参照)。

これを本件訴訟についてみるのに、被告は、要するに本件決定処分において認定した贈与財産の価額がその客観的交換価値を超えないことを立証すれば、本件決定処分の実体的な適法性を立証したことになるのであって、そのための証拠資料が本件決定処分後に収集されたものであっても差し支えないのであり、ましてや昭和四七年分贈与税の申告期限において本件土地に関する路線価図、沖縄国税事務所長通達が公表されている必要はないというべきである。

(二)  原告は、路線価図や個別通達が公表されていなければ、納税者は贈与財産の評価資料を得られないため贈与税の申告ができないので、本件決定処分、少なくとも本件加算税賦課決定処分は違法である旨主張する。しかしながら、本件の場合、全証拠によるも原告は贈与財産の評価方法が不明であったために申告しなかったというような事実関係は認められない(かえって前示乙第二二号証、証人仲大安勇の証言及び弁論の全趣旨によれば、原告には申告意思が全くなかったことが明らかである。)から、原告の右主張は前提を欠くというべきであるのみならず、仮に納税者に申告の意思があるにもかかわらず、右のような資料が公表されていないという場合であっても、納税者は自己の判断により贈与財産を客観的に相当と思われる方法で評価して申告すれば足りるのであるから、右主張は失当である。

(三)  次に原告は、被告が前記「市街地原野」の評価に当たり宅地造成費を一平方メートル当たり九一〇円と算定したことについて、課税年度と異なる昭和四八年分の相続財産評価基準の定めに従った点において被告の権限を逸脱したもので、違法であると主張するので、この点について検討する。弁論の全趣旨によれば、被告は、昭和四七年分については宅地造成費に関する通達の定めがなかったので、昭和四八年分相続税財産評価基準の、宅地造成費については一平方メートル当たり七〇〇円とし実情に応じて三割以内の増減をしても差し支えないという定めに従い、七〇〇円の三割増しである九一〇円をもって造成費としたことが認められるところ、前判示のとおり本件で問題となるのはあくまでも被告が行った本件贈与財産の評価がその「時価」の評価として適正であるか否かであって、評価に関する通達の規定が欠している場合に課税庁が相当と認める方法でこれを補って評価することは何ら差し支えのないところである。そして、本件において宅地造成費を一平方メートル当たり九一〇円としたことは、担当官の恣意によるものではなく、評価基準を定めた通達に準拠してなされたものであり、それが昭和四七年分の宅地造成費の実勢価額と比較して過小であったと認めるに足りる証拠はないから、原告の右主張は失当である。

更に、原告は、被告のした「市街地原野」の評価は、宅地に準ずる評価額から宅地造成費を控除した金額に七〇パーセントを乗じた価格を評価水準とすべきであるという通達の規定に従っていない点で違法であると主張する。しかしながら、仮に課税庁が通達に違反し、あるいはこれを逸脱して課税処分を行ったとしても、そのことだけで課税処分が直ちに違法となるものでないことは前判示のとおりであり、被告の採用した評価方法が本件各土地の「時価」算定の方法としてそれ自体合理的であって何ら違法でないことも前述したとおりである。のみならず、被告の採用した評価方法は必ずしも通達に反するものではないと認められる。けだし、前掲乙第二四号証によれば、沖縄国税事務所長は「昭和四七年における直税事務の当面の運営上留意すべき事項について」と題する通達(昭和四七年七月二九日沖直所秘第二号ほか)において、宅地、農地以外の土地については、その地目が宅地であるとして宅地の場合に準じて評価した価額から宅地造成費相当額を控除した金額に七〇パーセントを乗じた価額を評価水準とする、と定めているが、付記された算式や注書き、宅地についての規定等を併せ参照すると、七〇パーセントを乗ずる趣旨は、宅地の評価水準が仲値に評価水準調節率を乗じて圧縮されているので、控除する宅地造成費相当額もそれに対応して圧縮すべきであるという点にあると解され、圧縮後の宅地の評価水準から圧縮後の宅地造成費を控除して得た額に更に七〇パーセントを乗じることまでを要求しているとは解されないからである。したがって、原告の右主張も理由がない。

(四)  原告は、被告の公用地の評価方法には、固定資産台帳価格に恣意的に独自の倍率を乗じて評価を行った違法があると主張する。しかしながら、前記認定のとおり、被告は、昭和四七年度分の公用地の評価につき「相続税評価基準額は昭和四七年分に限り復帰後の賃貸借契約に基づく賃貸料の一六倍相当額とする。」と定める一〇〇号通達に依拠しつつ、軍用地料が民間の土地の賃料に比較して高額であったことから、評価の安全性を考慮して、基準賃貸料の額を右通達よりかなり低額にして評価を行ったものであり、これによって得られた評価額は本件公用地の客観的価格と認められる一平方メートル当たり一万二九〇〇円と比較してもかなりの低額であるから、被告の評価方法をもって違法とすることはできない。

四  以上の次第であるから、嘉彦から原告への本件各土地の贈与が贈与税の対象となるものとして、原告に対し贈与税及び無申告加算税を賦課した本件各処分は正当であり、贈与税額及び無申告加算税額がそれぞれ被告主張のとおりであることは法の規定に照らして計算上明らかであるから、本件各処分には何ら違法とすべき点は認められない。

よって、原告の請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 魚住庸夫 裁判官 徳嶺弦良 裁判官西尾進は転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 魚住庸夫)

別紙(一)

物件目録

那覇市字安里羽在間原三二二番地

一 畑 二五〇〇坪

同 所三二二番の五(ただし、昭和五一年五月七日分筆登記前の表示)

一 宅地 八四三一坪八合八勺

同 所三二三番(ただし、昭和五一年五月七日分筆登記前の表示)

一 畑 八九坪

同市字安里後原二九五番

一 畑 三五四坪

別紙(二)

<省略>

別紙(三)

評価明細書(具志堅光雄)

No.1

<省略>

No.2

<省略>

No.3

<省略>

No.4

<省略>

No.5

<省略>

No.6

<省略>

<省略>

別紙(四)

宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書(連記用)

<省略>

宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書(連記用)

<省略>

宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書(連記用)

<省略>

宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書(連記用)

<省略>

宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書(連記用)

<省略>

宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書(連記用)

<省略>

宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書(連記用)

<省略>

宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書(連記用)

<省略>

宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書(連記用)

<省略>

宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書(連記用)

<省略>

宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書(連記用)

<省略>

宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書(連記用)

<省略>

宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書(連記用)

<省略>

宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書(連記用)

<省略>

宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書(連記用)

<省略>

宅地および宅地の上に存する権利の評価明細書(連記用)

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例